東京。渋谷。雑誌の撮影現場。
光の当たる世界を走っていた青年が、心の限界を感じたとき──
次に選んだのは、まさかの「ホスト」の道でした。
良いイメージを持って無かったホストの世界。
だけど足を踏み入れてみると、あたたかい人たちが。
モデルとホスト。
mAkoさんだから見える景色を、語っていただきました。
ー三重から東京へ。18歳の決断。
三重県で生まれ育ったmAkoさん。
高校を卒業したあと「東京に行きたい」という思いから、専門学校への進学を理由に上京を決意。
入学したのは、渋谷系メンズファッションを学ぶ学科。
そこで出会った「特別講師」から声をかけられたことが、モデルとして歩み始める最初の扉になります。
周囲にもモデル志望の仲間が多い中、声をかけられたのはmAkoさんだけ。
嬉しさの反面、空気の変化も感じたそうです。
ーモデルとしての5年間と、心に積もった疲れ
雑誌で活躍する日々が続いたmAkoさん。
表舞台の華やかさとは対照的に、心の負荷は少しずつ大きくなっていきました。
「ちょっと鬱みたいになっちゃって。」
限界を感じたmAkoさんは、一度三重へ戻ることを選びます。
ー地元での半年間、そして「ホスト」の紹介
地元でゆっくり過ごし、次の道を考えていたタイミングで、東京時代の友人から大阪のホストクラブを紹介されました。
しかし当時のmAkoさんは、ホストに対してあまり良いイメージを持っていなかったといいます。
「俺がホストやるなんて...みたいな感覚ではあったっす。」
それでも、背中を押してくれる存在がいたことが大きかったそうです。
「僕のことを前進させてくれようと動いてくれてる人がいるのに、自分が前に向かないのも自分が悪い」と思い、話を聞きに行くことに。
ーアトムグループでの面接はスムーズに進み、入店へ
アトムグループでの面接は順調に進み、そのまま入店へ。
とはいえ、最初からこの仕事に惹かれていたわけではありません。
「僕その、ホスト本当に好きじゃなかったんで、すぐ辞めたろうかなと思ったんですけど…」
それでも続けられたのは、「人の良さ」。
仲間のあたたかさが、続ける1番の理由だったと振り返ります。
ー売れるために勝てる場所を選んだ
「ちゃんと自分が勝てるフィールドに身を置けるか置けないか。めっちゃ大事かなと思ってて。」
入店当時のお店は、まだホストクラブとして形が整っていない時期。
大手のトップ店で戦えば、どうしても超えられない壁がある。
アトムグループの人の良さに加え、「頑張り続けた先に勝てるビジョンが見えやすい」
そんな感覚が、mAkoさんを突き動かしました。
「自分がトップにならないと気が済まない」
勝ちを求めて全力で走る姿勢は、彼の根底にある信念のようです。
ー代表を降りたときに訪れた「燃え尽き」
代表からプロデューサーへと立場が変わった頃、気持ちがふっと軽くなり、どこか力が抜けてしまう瞬間があったと言います。
「その時ちょっとフワって…燃え尽きみたいなのがあったんです。」
前に立つ役割を離れて店の勢いにも少し影響が出たと感じたそうです。
その状況を目の当たりにし、また前線に立とうと心を決めたと振り返ります。
ーホストは人を育てる場所──僕が見てきた変化
辞めたあとに昼職へ進み、営業トップを取った元スタッフがいる──
そんな話を聞かせてもらいました。
「実際ここでしゃべれなかった子が、(お昼の)営業職行ったらめっちゃ売上立てれるようになった」
人と向き合う仕事だからこそ、向き不向きはある。
それでも、ここで培った経験が「次の場所」で開花するケースは少なくないそうです。
mAkoさんはこうも話してくれました。
「そういう話聞くと嬉しいですね」
ー今後の目標について
まずは店としての目標。
「ATOM-PLACE-の目標は、昨年掲げてたんが、分店とか拡大のところはあったんで、それは絶対的な目標です。あと、グループの1番になりたいな」
分店、拡大、そしてグループ内1位へ。組織としての成長をまっすぐに見据えています。
個人としての想いも明確です。
「従業員が将来このお店でちゃんと一生飯を食っていけるか??とか
ここじゃないとこで何かしたい時に、全力で助けてあげて、その子のセカンドキャリアも一緒に手助けしてあげれるような存在で居続けたい。」
自分のことより、仲間の未来。その姿勢を示すように、最後にこう続けました。
「あと従業員全員の面倒見てあげるってところ」
シンプルな言葉の中に、mAkoさんの覚悟が静かに宿っていました。
mAkoさんの言葉からは、仲間の成長を支えながら、店としての目標に責任をもって向き合う姿勢が伝わってきました。
これまでの経験で培った視点と、人を大切にする想い。そのバランスが、今のATOM-PLACE-を支える大きな軸になっているように感じられます。
これからどんな形で店と人を導いていくのか──