ー顧客へのサービスを求めて「TOP DANDY」へ
No.1になる前から、流星は売上だけではなく、顧客へのサービスを意識していた。
ワインブームを見越して導入を提案するも、
「ワインが飲みたければワインバーに行く。ブランデーを売ればいい」
と却下された。
「店にあるものを売るだけでは、お客様の満足にはつながらない」
そう考え、自分が理想とする顧客へのサービスを追求できる環境を求めて移籍を決断。
当時、話題のNo.1ホストとして十数店舗から声がかかる中、流星が選んだのは ”TOP DANDY” だった。
高見会長が「流星のやりたいことを、全部叶える」とはっきりと約束してくれたからだと言う。
周囲からは「あの店だけはやめた方がいい」と反対された。それでも流星は、完成された店ではなく、自分の理想を一緒に叶えてくれる人を選んだ。
しかし、実際に入店すると、その影響力を危惧する既存スタッフから猛反発を受け、"流星にNo.1を取らせないチーム" まで作られた。
今でも仲の良い当時のメンバーとは、笑い話の一つになっているという。
さらに、そのスタッフを指名するお客様たちからも強い敵意を向けられた。流星はそうしたお客様とは対話を重ね、スタッフには仕事への姿勢を見せながら、少しずつ信頼を築いていった。
やがて年間No.1へ。そして、TOP DANDYの代表へ。
その後独立し、ホストクラブの多店舗経営から他業種へも事業を広げた。
約10年にわたり、ホストクラブ3店舗をはじめ、フラワーアレンジメント、写真・メイクスタジオなどを展開。フェイズグループのロゴを掲げたハマーリムジンやロールスロイスが街を走る、華やかな時代も経験した。
しかし、脱税事件をきっかけに1億円の借金を抱える。その後、自身が率いていたグループも解散した。
大きな転機を迎えた流星は、先祖代々暮らしてきた東京を離れ、父親が終の住処に選んだ熊本へ。